旅行記二/大阪市立美術館

旅行記二。
朝七時頃に起きてホテル内の食堂で無料の朝食。パンの朝食は久し振り。宿泊室に戻って暫し休憩したあと、九時十分頃に外出。瀬田駅から京都駅、大阪駅を経て天王寺駅へ。公園に入り、彫刻《飛翔》を歩きながら眺め、十一時三十六分、大阪市立美術館へ到着。現在この美術館で開催されている展覧会「ボストン美術館 日本美術の至宝」を観照した。
出品の全てが名品中の名品である中でも特に素晴らしいのはもちろん《吉備大臣入唐絵詞》と《平治物語絵巻三条殿夜討巻》。前者では、遣唐使吉備真備が唐へ入国するや、才能を嫉妬されて拉致されたものの、鬼神と化していた阿倍仲麻呂を味方に付けて難問を次々に解決する。吉備に鬼といえば桃太郎。のちに陰陽道の元祖のように祀られることにもなる吉備真備の伝説と桃太郎の鬼退治との関連を示唆したのは中世史家の黒田日出男だったろうか。
後者では、華やかな鎧兜に身を包んだ武者の軍勢の高密度な描写、炎の勢いに圧倒されるが、牛車の車輪の回転の速さは一寸楽しい。そして藤原信頼源義朝の軍の乱暴狼藉、ことに非戦闘員である院の官人を虐殺し、官女をも襲って井戸へ投身させる様子のおぞましさを見れば誰しも、平清盛の反撃を待望しないではいられなくなるだろう。
何れの絵巻も、間近に見てその筆の運びの軽やかさには驚嘆させられた。
このほか私的に特に心惹かれたものをいくつか挙げれば、曽我二直庵の《鷙鳥図屏風》、長谷川左近の《牧牛・野馬図屏風》、宗達派の《水禽・竹雀図》、尾形光琳の《松島図屏風》、そして何といっても曽我蕭白の《雲龍図》。
曽我蕭白は今回の展覧会における最終章「奇才 曽我蕭白」の主人公。出品された十一点の全てが楽しい。《鷹図》に描かれた鷹は、足とその爪が大きくて勇ましいが、眼が愛らしい。同じく蕭白の《風仙図屏風》では、凄まじい風の勢いに耐える二羽の兎が目を惹く。蕭白の絵では人物の容姿こそ不気味だが、他は全てが愛らしい。墨線が特に愛嬌に富んでいる。
古代中世の仏画は、作品の素晴らしさに加えて、かなり間近に見ることができる展示になっていた点も有難いことだった。古い仏画は一般に、国立博物館等では奥行のある展示ケースに陳列され、照明も(作品の保護のため当然ながら)暗く設定されるので、どう頑張っても殆ど見えないのが当たり前だが、今回は異常なまでに見やすい展示になっていた。《西欧王侯図押絵貼屏風》の人物の姿形は実に洋風。《邸内遊楽図屏風》は楽園のように楽しげな光景。
展覧会名に「至宝」とある通り、実に国宝級の名品ばかりを揃えたような凄まじい内容。ボストン美術館の日本美術コレクションを語るときフェノロサやビゲローや岡倉天心の目利きの素晴らしさと文化財保護の精神の熱さを力説する人々は多い。確かにそうであるかもしれないが、その前提として、開国と維新によって日本人が空前の混乱に見舞われ、伝統を見失ったり油断したりしていたことを忘れてはならない。近隣諸国では王朝交代等の度に文化財を破壊したり破棄したりしていたのに対し、日本では皇朝の交代もなく、文化財を大切に後世へ伝える努力も続けてきたからこそ明治の時点で古く尊い美術品が多量に遺されていたわけで、それらがその時期に一挙に放出されたのは、維新の混乱に因るとしか云いようがない。「ボストン美術館 日本美術の至宝」の素晴らしさに感嘆すれば感嘆する程に、急激な変革、改革の恐ろしさ、罪深さを痛感せずにはいられない。これは最高の「戦利品」の展示でさえある。
大いに見て、一通り見終えたとき既に昼二時二十分頃だった。予定では、一時までに大阪市立美術館を出て急いで梅田駅を経て清荒神駅まで移動し、清荒神清澄寺へ参拝し鉄斎美術館へ行くつもりだったが、この時点で既に無理であると判断できたので今回は諦めて、先ずは一階の階段の奥にある「美術ホール」で、絵巻に関する図書を閲覧し、展覧会に関する映像を見ながら休憩したあと、美術館の二階にある喫茶店で休憩。抹茶ケーキと珈琲で寛いだ。美術館を出たのは三時十五分頃。
数ヶ月前に訪ねた店に顔を出しておこうと思い、天王寺駅から淀屋橋駅へ。難なく目的地へ行けるものと思っていたが、いくら歩いても見付け出せなかった。同じ場所を何度も何度も歩き回っている内に閉店の時刻に達したので諦めた。淀屋橋駅から梅田駅へ行き、梅田で早めの夕食を摂ったあとJR大阪駅から瀬田駅へ直行。夜七時半頃にはホテルへ帰った。