Free!第十話&第十一話&第十二話

借用中の「Free!」DVDから、第十話と第十一話と第十二話を視聴。これで「Free!」第一期の全話を見たことになるが、正直なところ何とも微妙に残念な気分にもなっている。
第十話。
小学生時代の七瀬遙、橘真琴、葉月渚、松岡凛の間に生じた出来事、そして中学一年生の冬の、七瀬遙と松岡凛の間に生じた事件が一気に語られた。前者は「Free!」という物語の原点であると同時に、映画「ハイ☆スピード!」という物語の前史をなしてもいる。しかし後者は「Free!」という物語の発端ではあるが、映画「ハイ☆スピード!」という物語からは繋がりそうには思われない。時間の前後関係で云えば、それは映画「ハイ☆スピード!」で描かれた春と夏の出来事から数ヶ月後の冬に位置し得るが、「ハイ☆スピード!」における夏の七瀬遙と、「Free!」における冬の七瀬遙とを連続させて捉えるのは難しい。
今回、小学生時代から中学生時代までの七瀬遙と松岡凛の物語と、両名に橘真琴と葉月渚を加えた四人の物語が一挙にまとめて語られたのは、これまで七瀬遙と橘真琴と葉月渚の三人に竜ヶ崎怜を加えた四人の物語として語られてきた「Free!」の物語を、ここで改めて七瀬遙と松岡凛の二人に橘真琴と葉月渚を加えた四人の物語として定義し直すためではなかったかと想像される。無論そのための伏線は、今までの数話を通して露骨に張りめぐらされてきたと云える。
だが、結果として物語には奇妙な歪みが生じていると云わざるを得ない。なぜなら松岡凛と同じく七瀬遙も小学生時代のメドレーリレーを至高の景色と思っていて、ゆえに松岡凛が去って最高のティームが崩壊したのを機に、リレーに対する興味を完全に失くしてはいたが、この夏、橘真琴と葉月渚、竜ヶ崎怜が一所懸命に泳いでいる姿を見た七瀬遙は、かつて味わった感動を思い出し、情熱を取り戻し、仲間と一緒に再びリレーに挑んでみる気になって、そしてその期待感は県大会の場で現実によって報われたのであるから。今、七瀬遙は再び四人組ティームの一体感、メドレーリレーへの情熱を取り戻しているが、その原因をなしたのは橘真琴、葉月渚とともに竜ヶ崎怜であって、松岡凛ではない。それどころか、松岡凛は彼を迷わせ、惑わせただけだった。それがどうして、松岡凛こそが七瀬遙、橘真琴、葉月渚の真の仲間であるかのように語り直され、竜ヶ崎怜が急に居場所を失くして追い詰められるような展開にならなければならなかったのか。
この物語はあくまでも「Free!」であって「ハイ☆スピード!」ではないのだ!と云われるなら、もはや何も云いようがなくなる。しかし、この第十話の中で葉月渚は松岡凛との出会いを「運命」と語ったが、この「Free!」の中だけで見ても、葉月渚にとって竜ヶ崎怜との出会いも充分に「運命」ではなかったのかと思われる。しかも岩鳶中学校一年生だったときの七瀬遙と橘真琴が椎名旭と桐嶋郁弥と一緒に最高のメドレーリレーをなし遂げ得た影には、椎名旭と竜ヶ崎怜との運命の出会いがあったことを、映画「ハイ☆スピード!」を観た者は知っている。
第十一話。
この物語の制作者集団の良心は、竜ヶ崎怜の周辺に凝縮されているのかもしれない。映画「ハイ☆スピード!」のパンフレットにおいて武本康弘監督が竜ヶ崎怜について「もっと出番を増やしたかったです」と述べ、「それでも、精一杯の愛を注ぎました」と書いていたことの意味を、今ようやく理解できた。
それにしても、第十話から第十一話にかけて竜ヶ崎怜の動揺、苦悩、孤独に気付き得たのが唯一、七瀬遙だけであるのは何とも気になる。他人の心に敏感な、底抜けに心優しい橘真琴はどこへ行ったのか。そう考えると、映画「ハイ☆スピード!」は何と心優しい世界だったろうか。七瀬遙も橘真琴も、鴫野貴澄も、そしてもちろん芹沢尚も桐嶋夏也も、いつも他人の心の痛みに敏感だった。
第十二話。
完全に道を踏み外した最終回だが、そのための伏線が数話にわたって時間をかけて確り張られ続けて来た結果であるところに質の悪さがある。不正を働いて優勝した岩鳶高等学校水泳部が失格になって優勝を取り消されたのは致し方ないが、共犯者である松岡凛が何の咎めも受けなかったのは納得し難い。鮫柄高等学校水泳部の似鳥愛一郎は松岡凛を愛しているから何があろうとも全て受け容れるのだろうが、水泳部長の御子柴清十郎はどうしてあっさり許してしまったのか。否、そもそも松岡凛が岩鳶の不正に与したのは鮫柄高等学校水泳部のリレーのメンバーから外されて自暴自棄になったからでもあると考えるなら、松岡凛の能力を過小評価していた御子柴清十郎の責任が問われても良い位ではないのか。そして想像するに、今回の件を受けて岩鳶高等学校は水泳部の四人に対して厳しい処分を下した可能性もないわけではない。世間はそれを要請することだろう。七瀬遙、橘真琴、葉月渚、竜ヶ崎怜に対してあまりにも過酷な結末ではないのだろうか。
やはり「Free!」は「ハイ☆スピード!」ではあり得ない。