義経第37回

NHK大河ドラマ義経」。滝沢秀明主演。第三十七話。
源九郎判官義経滝沢秀明)の白い狩衣の姿の美しいこと。もはや彼は現代風俗の世界に戻ってこない方がよいと思う。彼のこの美しさを彼自身がもはや超えることができないのではないかと心配する。出家した建礼門院中越典子)を訪ね、亡き天子(市川男寅)と守貞親王(水谷大地)との関係について問答で火花を散らした場面や、退出の際に女院のほか治部卿局明子(夏川結衣)・大納言典侍輔子(戸田菜穂)・廊の御方能子(後藤真希)と最後の対面をした場面の華やかさも含めて、何となく出演者たちの容貌と扮装の美で誤魔化されてしまった感のある今宵の一話。
合戦と京における源義経の行為について鎌倉の源頼朝中井貴一)は、「九郎は何も分かっていない!」と嘆いていたが、一視聴者としては逆に「九郎が何も分かっていないことを鎌倉殿は未だ分かっていなかったのか?」と嘲りたくもなる。ドラマがこのような滑稽な展開に陥ってしまったのは義経と頼朝の双方を善人として描き続けてきたことの必然の帰結だ。もし両名をともに善良に描きながらも同時に悲劇的な対決に持ち込みたかったのであれば、京都出身の貴人たちと関東の武士たちとの対立という論点を導入しておくべきだったろう。そうすれば義経と頼朝は同じ立場に立つことができたし、京都に親しい梶原平三景時(中尾彬)と梶原源太景季(小栗旬)を義経に好意的・同情的な知将として捉え直すこともできた。その上、北条時政小林稔侍)と北条政子財前直見)についても、関東の利益を代表しながらも同時に鎌倉殿を立てることで自分の立場を固めるため、鎌倉殿以外の京都派の有力者たちを次々排除してゆく豪腕政治家として描けば、今よりも容易に存在感を強化できたろう。