危険なアネキ第5話

フジテレビ月九ドラマ「危険なアネキ」。金子茂樹等脚本。松山博昭演出。フジテレビドラマ制作センター制作。伊東美咲森山未來主演。第五話。
皆川勇太郎(森山未來)の人物像は確と描き切れているのだろうか。今宵の第五話で云えば、彼のイヤな面が色々描かれたのち、最後に改心させ見せ場を作って「本当はイイ奴」であることを強調したわけだが、ドラマの主人公級の人物像としてそれで充分だろうか?もちろん物足りない。彼の立身出世主義をもう少し描いておく必要があると思うのだ。
彼は「アネキ」皆川寛子(伊東美咲)と同じく九州宮崎の田舎の出身だ。互いに甘え合い馴れ合う濃厚な情念と損得勘定の渦巻く小さな世界で生まれ育ちながらも、敢えてその世界で生温く生きてゆくこと全てを拒否して、受験戦争を勝ち抜き都会へ出てきて名門大学医学部で必死に勉強し大学病院(白い巨塔!)で上を目指しているのだ。しかもそこには中村拓未(平岡祐太)のような人物がいた。都会の大病院の御曹司として幼時よりエリート教育を受けてきたはずだから高校時代には仲間たちと優雅に遊び回る余裕もあったろうが、対する皆川勇太郎は、もともと勉強に励み易い環境に生まれたわけではないだけに、高校から大学にかけて日常の全てを勉強に費やさざるを得なかったばかりか、その過程は苦心の連続でもあったに相違ない。都会の富裕の少年にとって容易に得られる知識さえも、田舎の貧しい少年には容易には得られないものなのだ。現代の日本において知識の世界で生きてゆく上では、田舎にいるということはそれ自体が大きな障害にしかならない。皆川勇太郎は、都会に出てきて、名門大学の医学部と附属病院に入り、中村拓未のようなエリートを目の当たりにしたことで、己の生い立ちに殆ど憎しみをさえ抱いたかもしれない。高校時代までを過ごした田舎の全てを拒否して生きることを決意した彼の内面には様々な挫折や屈折があるはずだ。そうしたことを充分に理解しないことには今回の彼のイヤな言動の意味を了解できないだろう。しかるに彼のイヤな面を許すためには、そうした決意への了解こそが必要なのだ。