赤塚不二夫逝去享年七十二

今宵から始まった新番組、フジテレビ土曜ドラマ33分探偵」を見終えて、感想文を書こうかとしていたとき、点けたままにしていたテレヴィのニュース番組における赤塚不二夫の訃報を耳にした。本日午後四時五十五分逝去、享年七十二。私的には先週、泉麻人の著書『シェーの時代-「おそ松くん」と昭和こども社会』(二〇〇八年六月/文藝春秋社)を読んだばかりだったし、五月に放送されたNHKの特別番組「赤塚不二夫なのだ!!」も見たので、現在「長い睡眠」中であることは知っていた。泉麻人によると、本年四月十日に下落合フジオ・プロを訪ねた際、赤塚りえ子フジオ・プロ社長から「もう眠って六年になるんですよ。そう、今日でちょうど六年目になるんだわ…」と教えられたらしい。
五月三十日放送のNHKプレミアム10赤塚不二夫なのだ!!」は、みうらじゅんしりあがり寿喜国雅彦による鼎談が、いかにも赤塚漫画で育った実作者たちならではの赤塚ギャグへの愛情の深さを感じさせて楽しかったが、正直なところ、番組の全体としては今一つだったと思う。中条省平(文学研究者)の「分析」は興味深かったものの、町田健言語学者)や斉藤環精神科医)による「分析」は空虚だった。バカボンのパパの決まり文句「これでいいのだ」における「のだ」には「ソフトに相手を服従させる働きがある」という町田健の論は、「のだ」という語の言語学的な分析ではなく、むしろバカボンのパパという人物の個性を前提した解釈にしかなっていないし、「のだ」という断定的な(その意味では本来「ソフト」ではないはずの)口調には、学園紛争・左翼運動の盛んだった時代の雰囲気、そしてそのパロディを読み取ることができるはずで、ゆえに言語学的に「分析」するだけではなく、歴史的に解釈すべきではないかと思われる。要するに「分析」として全く足りていない。バカボンのパパにおけるナンセンスな言動が現代の父親の手本であり得るという斉藤環の論は、意図するところは理解できるが、バカボンのパパに関連付けて云うべき内容とは思えない。しかし何よりも酷かったのは、劇団「大人計画」主宰の松尾スズキ脚本による松尾スズキ&ニャロメの仮想現実の「対談」。云わば、赤塚世界に大して愛着のない人が赤塚世界の住人ニャロメを利用して己の主張を云わせただけの代物としか思えなかった。赤塚をやたら持ち上げつつ赤塚の盟友である藤子不二雄(しかも選りにも選って赤塚が「天才」と認めていた藤子・F・不二雄こと藤本弘!)を軽く貶していたあたりにも、赤塚漫画への理解の浅さが露呈されていたと見るべきだろう。
とはいえ、藤子不二雄A安孫子素雄)&ちばてつや山根青鬼の証言や、幼少期を赤塚とともに遊んで過ごした奈良の老人三人衆の回顧談には価値があるし、みうらじゅんしりあがり寿喜国雅彦の鼎談も含めて、余りにも興味深い要素の多い特別番組ではあった。だからDVDに保存してある。
これに比べて、泉麻人の『シェーの時代-「おそ松くん」と昭和こども社会』は、著者の個性と書の題名からも判る通り、著者個人の私的な思い出から説き起こして、かつて多くの子どもたちが赤塚漫画に夢中になった時代の条件や雰囲気を具体的に記述していて、実に面白かった。思えば、みうらじゅん泉麻人も「タモリ倶楽部」の住人なのだ。タモリの仲間たちである彼等がタモリの大恩人の創造した世界を深く解するのは、云わば史的な必然であるとさえ云えるのかもしれない。否、逆だ。「おそ松くん」や「天才バカボン」で育った彼等がタモリ倶楽部に入ったことが、史的な必然だったのだ。
泉麻人のこの研究書には「おそ松くん」から多くの名場面が引用されているが、その何割かを吾かつて見たことがあり、よく記憶している。だが、吾「おそ松くん」を読んだのは今までの人生で唯一度だけ、しかも小学生だった頃の二日間(否、三日間位はあったろうか?)だけのことだ。その夏、家族で旅行した際に宿泊先の旅館のロビイに「おそ松くん」と「天才バカボン」がそれぞれ数冊あって(残念ながら全巻は揃ってはいなかった)、旅館に滞在していた間、夕食や朝食の合間に只管それらを読んだ。遠い昔のことだが、そのときの記憶が今でも鮮明によみがえってくるのだから、その面白さが当時の自分にとってどれだけ強烈だったかを今さらながら思わずにはいない。例えば泉麻人の書の一九三頁に引用されている「六つ子うるさい でていくよろし!!」の尺八ジャズマン夫妻に関しては、本書中のこの一コマを見ただけで他の幾つものコマを想起することができる程だ。
同書には興味深い指摘が多い。例えば「おそ松くん全集」第二十巻に登場する過保護な親が、四十年を経た今日、「モンスターペアレンツ」と呼ばれる現実の存在と化したという指摘。なるほど赤塚ギャグが今や現実世界を跋扈しているのか。
同時代の人気漫画について論じる段、藤子不二雄作品として「オバケのQ太郎」とともに「フータくん」が挙がっている。「フータくん」は文庫本で全巻を読んだことがあるが、そうか「おそ松くん」等と同時代の作品だったのか。私的には藤子不二雄作品中で最も好きな作品の一つだが、あれは画風から考えて藤子不二雄A安孫子素雄)の作品だろうか。「オバケのQ太郎」が藤本&安孫子両名のみならず盟友の石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)や赤塚をも含めたトキワ荘派の巨匠たちの夢のような合作であることは(本書中には言及はないが)有名な話だろう。「おそ松くん」に度々オバQが友情出演することに関連して泉麻人は「藤子作品の方はコマメにチェックしていないけれど、もしや向こうの方でも「オバQがシェーをする」みたいなコラボレーションがなされていたのかもしれない」(p.220)と述べているが、「オバQ」に「シェー」は幾度も出てきたはずだし、イヤミ自身も唐突に登場したことがあったような気もするし、確か、花嫁修業中のU子が礼儀作法の先生の前で「おシェーでございます」と云って「他所様の真似をしてはいけません」とたしなめられる場面もあったかと記憶する。

シェーの時代―「おそ松くん」と昭和こども社会 (文春新書)