美しい隣人第九話
明日一日、代休を取るを得た。大いに休み、大いに読書し、大いにドメニコ・スカルラッティを聴いて過ごしたいものと願望している。
ところで。
フジテレビ系(関西テレビ)。ドラマ「美しい隣人」。第九話。
美しい隣人、マイヤー沙希(仲間由紀恵)は恐るべき狂人で、その言動の大半は嘘で塗り固められたようなものではあるが、少なくとも矢野絵里子(檀れい)に対して云い放った「わたしは、あなたが捨てたものを拾っただけ」という言には、とても無視できない真理性があると認めざるを得ない。矢野絵里子が余りにも油断していたのは間違いない。満ち足りた日常生活を送り得る幸福な条件の上に胡坐をかいていた。
例えば、一年前の、矢野絵里子が幼い矢野駿(青山和也)を見失い、誘拐されたのではないかと疑って、警察沙汰にまでなってしまったあの事件にしても、よく考えてみれば、普通の家庭では起きないような事件だったのではないだろうか。矢野絵里子には余りにも隙があった。
今回の誘拐騒動にはもっと深刻な油断があった。矢野駿がマイヤー沙希の色香と甘さに騙されるような、五歳児にしても余りにも幼稚な、愚かな幼児であるという問題もあるが、そうであればなおのこと、親は子から手や目を離してはならなかったはずだ。美しい隣人が矢野家の夫と子を略奪しようとしていることを知ったからこそ、実家のある信州松本にまで逃走してきたのではなかったか。それなのに、どうしてそこで子から手を放し、目を離してしまったのか。余りにも隙があった。
誘拐騒動のあと矢野絵里子があの忌まわしい邸宅、忌まわしい街から出てゆかなかったことも、余りにも迂闊な決断だった。矢野慎二(渡部篤郎)の転勤がなくなったのは仕方ないが、それでも転居して然るべきだったろう。信頼できない夫とは離婚して実家へ帰るか、離婚したくないなら引越をしてでも環境をなるべく「リセット」して家庭を再建するか、何れにせよ心機一転を図って新生活を始めるべきだったのだ。
油断の数々の中でも象徴的なものとして、元友人の相田真由美(三浦理恵子)との関係を挙げることができようか。一般論で云って、徒党を組みたがるような人物はそもそも友とするには相応しくない。なぜならそのような人物は仲間外れを作って他人を陥れるからだ。矢野絵里子は、友としてはならない最悪の人物を友にしてしまった結果、その友から裏切られて、今や友が一人もいない状況に見舞われた。余りにも隙があった。
矢野絵里子が見舞われている事態は極めて深刻で、不幸で、修復のしようもない程に狂っているが、そうした中で矢野絵里子が余りにも油断していて隙だらけであり続けたことは、それ自体、一つの狂気でさえあったのかもしれない。マイヤー沙希を誘拐犯として訴えようとした矢野絵里子に対する警察の冷たい態度がそのことをよく物語っていた。矢野家の邸宅内に矢野家の夫と子と、夫の不倫相手がいて、実家へ戻っていた妻がそこへ帰ってきて夫の不倫相手に傷を負わせたという事件に関して、夫の不倫相手を誘拐犯として訴えることが、どうしてできようか。
マイヤー沙希は、子から手を放して見失うような愚かな親である一点において自身と矢野絵里子とが同罪であると述べたが、以上のように考えるなら、マイヤー沙希の狂気は矢野絵里子にとっても無縁ではないと見ることができるだろう。
それでもなお、どうして矢野絵里子がここまでマイヤー沙希の標的にされなければならないのか?という難問は残る。この不条理が不条理のまま終わるのか、続くのか、それとも解明されて解決するのか、それでも解決しないのか。次週の最終回を待たなければならない。無口な謎のアルバイト青年「リオくん」こと松井理生(南圭介)の正体にも注目せずにはいられないのは云うまでもない。