旅行記/大三島美術館/大山祇神社
休日。朝起きて、色々思案の末、久し振りに大三島へ行こう!と考え、大急ぎ準備して午前十一時四十四分に松山市立子規記念博物館前で特急バスに乗車。昼一時四十七分に大三島の大山祇神社前で降車。先ずは今治市大三島美術館へ。十二月二十六日まで開催されている館蔵品展「浮世絵を見よう!」の後期展「旅の景色」を鑑賞した。
もともと現代日本画の良質なコレクションで有名だった大三島美術館が浮世絵の大コレクションをも収蔵したことについては数年前に報じられたのを記憶しているが、初めてその一部を見ることができた。北斎や広重や小林清親の作品を中心に、国芳や井上安治や井上探景の作品も交えて、名所の様々な景観と表現を見せていて、それだけでも実に見応えがあったが、この美術館ならではの趣向といえば、北斎の富嶽三十六景、広重や清親の富士山図とともに、加山又造の大作《火の島》をも展示しているところにある。活火山として今なお活発な活動を続けている鹿児島の桜島の恐るべき活力を、金とプラチナと朱で描き出した傑作だが、この制作のとき加山又造は桜島の実景の実体験だけではなく浮世絵の富士山をも意識していたらしいのだ。真の創造性は伝統の継承の内にしかないことをよく物語る。
昼三時半頃に美術館を出て、次に大山祇神社へ参拝し国宝館を鑑賞しようと思ったが、流石に少し空腹を感じたので、神社の前にある神島まんじゅう本舗村上井盛堂で二種の饅頭、計四個を購入し、鳥居を眺めながら二個を食べた。
そして三時三十六分、いよいよ大日本総鎮守、国幣大社、大三島宮 大山祇神社へ参拝。総門の守門神像が新しいながらも立派な姿をしていた。斎田を眺め、手水舎と呼ばれる御手洗で清め、巨大な大楠の威厳に圧倒されながら石段を登り、神門をくぐり、拝殿へ赴いて拝礼。
拝殿から伸びる回廊の天井には、大山祇神社へ参拝なさった昭和天皇陛下や今上天皇陛下、皇太子殿下や諸親王殿下の写真をはじめ、帝国海軍や海上自衛隊の大勢の武官が凛々しい制服の正装で参拝なさった際の写真も無数に掲げられていて、なるほど、ここが日本の総鎮守であり、航海と海軍の神社であることを再認識することができる。
神門の脇の内側には一躯の銅像があった。《隼人の舞》という作品。軍に強い薩摩の隼人族が大和朝廷のために捧げていた隼人舞を表現したものだが、今なお鹿児島神宮に伝承されている隼人舞は、もともと海幸彦に対する山幸彦の勝利を表現しているとも云われているらしく、この主題は二重の意味で皇統の勝利を表していると解することができる。彫刻の作者は中村晋也。
神符所でステインドグラスの御守と勾玉を購入したあと、神門を出て石段を降りて、橋を渡って宝篋印塔を眺めながら国宝館の受付へ進んだ。その時点で既に夕方四時十分で、閉館時間は五時だから五十分間で紫陽殿と国宝館と海事博物館の三館を周らなければならなかったので、兎に角も大急ぎで鑑賞。
伊予守源義経や将軍源頼朝、木曽義仲の奉納した大鎧、さらには護良親王殿下や小松内府平重盛、北条時宗の奉納した太刀等が並んでいて壮観。国宝と重要文化財の数の多さも凄まじい。
海事博物館は、生物学者としても著名だった昭和天皇陛下の、海洋生物の調査のために使用なさった御採集船葉山丸を保存し、併せて海の資源の標本を展示する自然史博物館。
夕方四時五十分頃に博物館を出て、宝篋印塔の前に戻り、境内へ戻り、大楠を眺めながら急ぎ、総門を出て鳥居を出て、大三島美術館前にある大山祇神社前バス停留所へ行き、バスの到着を待ったが、定刻の五時二分を過ぎてもバスが来なかったので、おかしい?と思い、時刻表をよく見たところ、何ということだろうか!五時二分の便は平日のみの運行で、日曜日と祝日には五時代の便がないらしい。次の便は六時二分。約一時間も時間の余裕ができたので神社の近くにある喜船という料理店へ入り、海鮮丼で夕食。刺身が厚く大きくて素晴らしく美味だった。五時のバスがなかったのはむしろ幸運だったのかもしれない。
六時二分に大山祇神社前を発って、夜七時頃にJR今治駅前に到着。ここでも時間の余裕ができたので周辺を歩き、今治市立中央図書館前の彫刻《薫風》を眺めてから駅へ戻り、売店で抹茶オレと所謂ゆるキャラ「バリイさん」ストラップを購入したのち、七時四十六分に特急列車で今治駅を発って八時二十五分頃に松山駅へ到着。道後まで徒歩で戻った。