今治城の沖冠岳展を見学

今日は午後、今治へ行った。今治城で開催中の「沖冠岳展」を見物するため。今年は彼の生誕百九十年であり、先月までは愛媛県美術館で生誕百九十年記念展が小規模ながら開催されていたが、現在は今治城天守閣・山里櫓)でも開催されている。出品の内容が殆ど重ならないので、両方ともに観て意味がある。単純化して云ってしまえば、愛媛県美術館の展示内容が、京の南蘋流=岸派に江戸の文晁派を取り入れた南北合法の文人画家としての側面(新たに見出された側面)を強調しつつ、さらに云わば「奇想の画家」としての側面をも新たに提起していたとすれば、今治城の展示内容は、京派=写生派の画家としての側面(地元の人々に馴染み深い側面)を大切にしたものと云えるだろう。しかし両者が矛盾するものではないのは云うまでもない。今治城における展示品中、第一の傑作が細密な着色の大幅「秋萩に鹿の図」であるのは論を俟たないが、私的には「赤壁図」が面白かった。軽やかな線で描かれた険しい断崖の形と彩色には、まるでセザンヌかと思わせるものがあった。山水画の大幅「流水響空山図」は、やはり迫力がある。この画を支配する題の一つは「音声」であると云ってよい。空山の沈黙の中に響く流水、琴の音のように響く松風。これは「雅」の情趣だ。しかし青白い山や曇り空の表現のアクの強さ!ここには、この画家の表現力が「俗」のエネルギーを内蔵していたのを見ないわけにはゆかない。何よりもその造形は、空山(=誰もいない山)の寒々とした寂しさ、山道を行く旅人の孤独感を、殆ど恐ろしいまでに強烈に表現しているのだ。