NHK-BS2日めくりタイムトラベル昭和45年

朝十時頃に起きて夕方六時半頃まで居所内の整理と清掃を推進。心なしか室内の空気が清められた気がした。夜七時半頃から約一時間スポーツクラブで大いに鍛えて、帰宅したのは九時十五分頃だったろうか。
そのようなわけでキムタク脳トレ土八ドラマ「MR.BRAIN」第三話の放送時間帯にはテレヴィを見ていない。しかも今宵は夜八時から十一時まで三時間にわたりNHK衛星第二放送における月に一度の特別番組「日めくりタイムカプセル」を録画していたので、「MR.BRAIN」を録画していない。
ところで。
NHK衛星第二放送「日めくりタイムトラベル」昭和45年篇。
月に一度のこの三時間番組では今宵、ついに待望の昭和四十五年が取り上げられた。二十世紀最大の祭典「日本万国博覧会」が大阪千里丘陵において開催された戦後史上最も重要な年に他ならない。この重要な年の出来事を取り上げるには三時間は余りにも短い。なにしろ日本万国博覧会だけでも、十時間番組位は余裕で作ることができる程、取り上げるに値する話題は多くある。しかも同じ年には、沖縄コザ騒動、日本航空よど号ハイジャック、さらには光化学スモッグや田子浦の汚染をはじめとする公害問題等、極めて大きな出来事があったのだ。三時間番組に収まるはずがない。来月放送予定のこの番組では昭和五十年が取り上げられるが、同年には殆ど大した話題がなさそうに見えるのと比較すると、密度の差は極大と云うに近い。
それでも、やはり興味深く、面白かった。当時の大阪に居住して日本万国博覧会に夢中になった少年たち、所謂「万博少年」が実際にどのようにして博覧会場に通い、数多くのパヴィリオンを見学し、各国パヴィリオン等の土産物の収集に成功したのか、その実態を、「EXPO CAFE」店主の白井達郎を一例として取り上げたのが好企画だったと云えるし、また、当時まだ大阪の地元の中小企業に過ぎなかった「タカラベルモンテ」のパヴィリオンにおける奮闘に着目したのも興味深かった。やがて世界屈指の建築家と評価されることになる黒川紀章の設計に成る同社パヴィリオン「タカラビューティリオン」の斬新な建築は、「公式長編記録映画 日本万国博」においても「未来建築」の代表例として取り上げられ、確かに万国博覧会を象徴する建築の一つになり得ている。
この番組では日本万国博覧会を、最先端の科学技術の成果を展示して未来の生活を夢見させたイヴェントとして性格付けていた。だが、実際には、「太陽の塔」の万国博テーマ館において岡本太郎プロデュースによる民族学展示が試みられたほか、参加各国パヴィリオンでもそれぞれの伝統文化、民族文化の展示が行われ、民族学=文化人類学の祭典としての一面もあったことを忘れてはならない。日本館では「日本と日本人」と題する日本史概観のディスプレイがあったし、また、万国博美術館(国立国際美術館の前身)では西洋と東洋と日本の、原始から近世に至る美術史上の名宝を集めた空前絶後の大展覧会までも開催されていた。それらの驚異的な内容の一端は「公式長編記録映画 日本万国博」DVDや「公式記録映画 日本万国博」DVD-BOX等に窺うことができる。そう考えるとき、日本館ホステスをつとめた女性二名にもインタヴュウを行い、小学四年生だった浩宮殿下(現在の皇太子殿下)が既に大変な博学多識だったとの証言を引き出したのは傑作だった。殿下は早くも日本史マニアになっておられたのだ。
万国博覧会には海外は無論のこと、国内各地からも農協等の団体客が殺到したが、そうした団体客の一つについて密着取材をした(恐らくはNHKの)映像の一部も出てきた。それを見ると、地方から大阪の万国博会場へ行くということが、云わば江戸時代の農村の人々にとっての伊勢参詣のようなものではなかったかと想像される。
この年、最も流行した歌の第一位は皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」(訳詞:みおたみずほ/編曲:小森明宏)、第二位はザ・ドリフターズの「ドリフのズンドコ節」(作詞:なかにし礼/作曲:不詳)。何れも名曲だ。
なお、コメンテイターとして出演した人々の中では、中島誠之助の発言が一々面白かった(例えば、日本万国博覧会で活気付いた頃の大阪の美術商たちは美術商業界のオークションでも強気で、ことに東京の美術商には対抗心を剥き出しにしていたとか)。ホンコンと岡田圭右が妙にコンビネイション抜群だったのも印象深い。

公式長編記録映画 日本万国博 [DVD] 公式記録映画 日本万国博 DVD-BOX 東京オリンピック [DVD]
東京風景3 オリンピックへ ! 東京大改造 1962?1964 [DVD] 東京風景4 熱狂の東京パビリオン [DVD]