オルトロスの犬第五話

TBS系。金曜ドラマオルトロスの犬」。第五話。
脚本:青木万央。音楽:井筒昭雄。主題歌:滝沢秀明「ヒカリひとつ」。演出:加藤新
竜崎臣司(滝沢秀明)が二百人以上の観衆の眼前で、若者に大人気の歌手レイ(平原綾香)の不治の病を瞬時に治してみせたことには、互いに相反する二重の意味がある。その意味は、「神の手」を持つ竜崎が、己とは正反対の「悪魔の手」を持っている点において己と似た境遇に置かれ得る男、「碧井先生」こと碧井涼介(錦戸亮)の前で、「俺たちはゲイムの駒ではない。プレイヤーだ。」と宣言したことに関連付けて解され得る。
確かに(一)、大勢の観衆の前での彼の大胆な行動は、社会厚生大臣の榊遥子(高畑淳子)の陰に隠れて善をなすことで、次期内閣総理大臣を目指して活動しているこの権力者のために最強の「駒」として便利に使われる状態を脱して、自ら「プレイヤー」になることであるだろう。それは間違いない。
警察庁警備企画課理事官の沢村敬之(佐々木蔵之介)も一応はそのように見たと解される。竜崎が大人数の前で「神の手」を行使することは、そのまま、神にもなり得る者を世間の視界から隔離することで権力のために有効活用する策略を無効化して失敗させることであると彼は解していたからだ。
ところが、沢村理事官と榊大臣の間には視点の違いがあることにも気付く。榊大臣は竜崎を己の手許に置くことだけを考えているが、沢村理事官は竜崎を世間の視界から隔離することをこそ考えていると認められるからだ。
(二)ここに図らずも今回の出来事の持つ第二の意味が浮かんでこよう。竜崎が他人の「駒」であることを拒絶して大勢の前で力を発揮すれば、彼は神のような者にもなるかもしれないが、下手すれば逆に、大勢に「駒」として望まれて狙われて追い回される最悪の事態に陥るかもしれないからだ。実際、彼の幼時の忌まわしい記憶がそれなのだ。一人の権力者の「駒」となることで逆にその権力者を操る「プレイヤー」として行動するのか、何者の「駒」であることをも拒絶することで逆に大勢に「駒」として狙われるのか。
幾つか重要な進展があった。二宮健(六角精児)は少年時代の竜崎の父親代わりだったと発覚。他方、吉住正人(忍成修吾)は己の出世欲のためには恋人をも裏切ってしまえる程の冷酷非情を顕にした。こう来なくては忍成ではない!と思わせずにはいない忍成。もはや若手イケメン悪役俳優の第一人者と云うも過言ではない。