渡る世間は鬼ばかり第十部第三十九話

TBS系。橋田寿賀子ドラマ「橋田壽賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
最終部=第十部第三十九話。
小島眞(えなりかずき)と大井貴子(清水由紀)の関係には、今回、極めて大きな進展があった。両名が今なお紛れもなく両想いであることが、両名の間で改めて確認されたのだからだ。
両名の間には今まで主に金銭的な障害があると考えられてきた。先ずは大井道隆(武岡淳一)の経営していた会社の没落があって両名の婚約は延期され、次いで大井道隆と大井貴子の父子の中国への移住があって両名は完全に別れ、やがて大井道隆の病に伴って大井父子は帰国したが、いよいよ生活に困窮してしまい、身体の不自由な父の介護につとめながら働いて生活費を稼がなければならなくなった大井貴子は、もはや結婚を考えることさえもできなくなった。夜の工事現場で働いていた大井貴子と再会した小島眞は大井貴子との恋をやり直し、今度こそ結婚したいと願ったが、大井貴子がそれを拒否したのは、結婚すれば小島眞に全ての負担を押し付けることになりかねないのを心苦しく思ったからだった。
そこで小島眞は一刻も早く「一人前の公認会計士」になって、大井父子を幸福にできるようになりたいと考えた。これは極論すれば、金さえあれば大井父子を幸福にしてやる力が己にはあると考えたということでもあるが、これに対しては大井貴子は強い拒否感を表していた。
ところが、ここで立場が逆転した。大井道隆は身体の不自由にも負けず、パソコンを使って新たな発明をしてそれを中国の企業に売り込み、莫大な契約金を獲得したのだ。その金で大井父子は再び大富豪となった。小島眞が一人前に公認会計士になるのを待つまでもなく、逆に、大井貴子が小島眞を経済的に支援できる立場になったのだ。
こうなると今度は小島眞が大井貴子との結婚を拒否し始めた。大井父子に対して己が何の役にも立たない状態であることを心苦しく思ったのだ。
冷たく突き放した見方を取るなら、結局、小島眞の関心事は金と力でしかないとも云える。経済力を背景にした支配と被支配の関係において己が優位に立つこと、あるいは少なくとも劣位には立たないことを、彼はどこまでも願望していたのだと見ることができる。
だが、小島眞にとってはそれこそが男女間や家族間の愛の本質であると思われるのではないだろうか。単なる友情の関係であれば純粋に愛情を貫き得るかもしれないが、結婚して家族という法人を経営するとなると、経済力なくしては何も始まらない。たとえ経済力があっても、誰がその力を握っているかによって人間関係は変動する。そのことは家族の自由を左右して、幸福の有無にかかわる。小島眞が見てきた小島家や岡倉家が、いつも金銭の問題から大きな変化に見舞われてきたことを想起しておく必要がある。
大井貴子が小島眞からの結婚の申出を拒否してきたのも、小島眞一人に負担をかけることで小島眞との対等な関係を失うことを拒否するからだったと解するなら、結局、考え方において小島眞と全く同じだったのだ。
その意味で小島眞と大井貴子は、一つの障害の解決に伴って新たな障害に直面したことになる。それらは何れも金銭の問題でしかないとも見えるが、同時に、何れも愛の問題でもあると見ることもできるのだ。
むしろ重要なことは、両名間の解決済みの問題と新たに生じた問題とを互いに確認し合った中で、両名が今なお互いを結婚したい相手として認めていることを確かめ合えた点にある。経済力に基づく支配と被支配の関係における不均衡が是正されたなら、両名は再び結婚を考え始めるのかもしれない。だが、そうした不均衡の是正された状態、力の均衡状態とは一体どのような状態として具体化できるのだろうか。