五輪と体操

テレヴィを見ない生活は思いのほか心地よいが、五輪に関しては流石に、少々世事に疎くなってしまっていることを実感させられる。なにしろ男子体操の内村航平選手が個人総合で金メダルを受賞したことを知らなかったのだ。二位以下を大きく引き離した圧勝だったそうで、しかも日本国の男子体操選手が金メダルを獲得したのは具志堅幸司選手以来二十八年振りの快挙であるとか。
この大朗報には驚いたが、同時に、優勝して然るべき実力があると広く認められていた選手が期待に応えて優勝したという単純明快な事実に、これ程にも驚いてしまった事実それ自体にも吾ながら少々驚いた。五輪にも体操にも金メダルにも特別な思い入れがあるわけでもない吾の如き者にとっても、五輪の体操の金メダルというのは何か特別であるらしい。一つにはやはり、これが五輪そのもののような競技だからでもあるのだろうか。
…と云いつつも、このような感じ方には根拠があるのだろうか?と考えないわけにはゆかない。例えば、古代ギリシアのオリュンピア競技会の種目といえば、徒競走、五種競技(円盤投げ&幅跳び&槍投げ&徒競走&レスリング)、ボクシング、パンクラティオン(レスリングとボクシングを総合した全力格闘技)、そして馬術競技で、体操はない。そもそも今日のような体操競技それ自体がなかったろう。
体操の原語「gymnastic」の語源は、古代ギリシアの少年の教育機関ギュムナシオンにおける身体能力の教育を表す形容詞ギュムナスティケーにあるのだろうが、そのことはむしろ十九世紀のスポーツ文化人の古典古代崇拝を伝えているのだろう。そう考えるなら、体操競技に五輪の精髄を見るとき人は近代ヨーロッパの古典古代崇拝を受け容れているということになるのだろうか。日本をはじめ非ヨーロッパの国々が体操に強いという事実はその意味で一寸意外でもあって面白い。