渡る世間は鬼ばかり第二十七話

TBS系。橋田寿賀子ドラマ「橋田寿賀子ドラマ渡る世間は鬼ばかり」。
作(脚本):橋田寿賀子。音楽:羽田健太郎。ナレーション:石坂浩二。演出:荒井光明。プロデューサー:石井ふく子。第九部第二十七話。
小島家ラーメン店「幸楽」店主の長男である小島眞(えなりかずき)の将来の夫人と目されている交際相手の大井貴子(清水由紀)とその実家の大井家とをめぐり、「幸楽」小島家中の論は二分されている。(一)一番の当事者である眞と、父であり家長であり店主である小島勇(角野卓造)は、大井貴子にも、その父であり「大井精機」社長でもある大井道隆(武岡淳一)にも惚れ込んでいる。これに対し(二)、長男である眞に己の老後の面倒を見てもらいたい考えしかない小島五月(泉ピン子)は、大井社長夫人の大井直子(夏樹陽子)に対して嫉妬に基づく敵意を抱いているばかりか、大井貴子その人をも、自身の老後の安定を破壊しかねない悪魔と見做して憎しみ、恐れ、大井家それ自体を嫌悪している。加えて(三)、ラーメン店主として何一つ修業したこともない上にそもそも会社経営者としては既に無惨な倒産をも経験し無能を露呈したこともあるにもかかわらず店主の長女であるという理由だけで店主の地位を世襲したいと願望している田口愛(吉村涼)も、弟の嫁になる可能性の高い大井貴子があらゆる点において己よりも優れているのみか、ラーメン店員としてさえも抜きん出た能力の持ち主である事実を前に、警戒感を抱き、己の地位を守るため、陰湿な手段を用いてでも大井貴子の排除を目論んでいることにおいて、母の五月と利害の一致を見ている。
これを要約するに、(一)勇と眞は貴子と道隆に惚れ込み、(二)五月は大井家そのものを憎しみ、(三)愛は貴子を警戒しているわけだが、何れにせよ彼等は小島家との関係における大井家を一体として考えようとしていると云えるかもしれない。
大井家においてはそうではない。なぜなら大井家に対する小島家の論と同じく小島家に対する大井家の論も二分されている中、どういうわけか、大井家の長女の婿になる可能性の極めて高い小島眞という人物を極めて高く評価することにおいてだけは大井家は全面の一致を見ているのだからだ。ゆえに小島家に対する大井家中の意見の対立は、小島眞を、小島家と一体として見るか否かの別として生じていると云えるだろう。
社長夫人の直子は小島眞を小島家から完全に切り離して、大井家に迎え入れようとしている。小島眞を人格識見ともに秀でていると認めているようだ。視聴者の多くはその判断の根拠を知りたいと常々願望しているのではないだろうか。なぜなら眞がそんなにも優れた人物であるとは信じ難いからだ。しかし何れにせよ大井家の人々はそのように信じているわけで、そのことを前提しておくことは必要だろう。貴子の弟であり大井家の長男である大井輝(大川慶吾[ジャニーズJr.])も、母に完全に同調している。この男も、社長の令息であるというだけで社長の地位を世襲し得て会社の継承者であり得ると勝手に確信しているだけの無能者である可能性がある。
大井道隆は、小島眞を高く評価するのみならず小島家ラーメン店「幸楽」をも気に入り、さらには小島勇という人物にまでも惚れ込んでいる。
貴子の器の大きさは父である道隆の器を受け継ぐものと認められよう。その点で、貴子の弟である輝の貴公子気取りが母の直子の貴婦人気取りを受け継ぐものと見えることとの間に、好対照の対称性を示している。だが、貴子が小島家を愛し小島家に愛されたいと奮闘していることの内には、小島眞との愛を完全なものにするためにはそれが必要であるという賢明な計算もないわけではないと思われる。そう考えるとき、何の計算もなく小島勇との友情を大切にしようとしている大井道隆の人間性には注目に値するものがある。