旅行記三京都国立博物館上田秋成展

旅行記三。
朝起きて、NHKゲゲゲの女房」を見ながら荷物を片付けたあとホテル三階の食堂で簡単な朝食。十時にホテルを退出。四条通へ出て、河原町通からタクシーに乗り、十時二十分頃、京都国立博物館へ到着。本館で今月二十九日まで開催されている特別展観「没後二百年記念 上田秋成」と特集陳列「新収品展」を観照。
上田秋成展における私的に最大の収穫は、富岡鉄斎粉本に含まれる上田秋成像の原作者の「文麗」が文麗加藤泰都ではなく京都の画家であるらしい甲賀文麗だったという事実を知り得たこと。驚かされた。
上田秋成と云えば著書『胆大小心録』において「絵は応挙が世に出て、写生といふ事のはやり出て、京中の絵が皆一手になつた事じや。これは狩野家の衆がみな下手故の事じや」と評したことが知られる。今回の展覧会でも「深山大澤図屏風」六曲一双(仁和寺蔵)や「四季富士図」四幅対のような傑作が並び、池大雅の「漁楽図」(京都国立博物館蔵/重要文化財)等と対比されるかのようだったが、最も興味深く見たのは与謝蕪村の「楊柳青々図・一路寒山図屏風」六曲一双。ことに右隻の、柳の巨木の林立する空間の広々とした表現に見入った。
新収蔵品も多彩だったが、中でも伝狩野元信筆「耕作図屏風」六曲一隻や狩野山雪の「明皇・貴妃図屏風」六曲一隻、狩野永良の「白梅群鶏図」が素晴らしかった。重松岩吉の油彩画「鍛冶屋」も面白かった。
十二時五十分頃に会場を出て、暫し庭園を散歩。新館の工事現場を見物し、ロダンの彫刻「考える人」等を観照したのち、昼一時に館を出た。七条通を西へ歩いて京都駅へ。地下の天麩羅店で昼食。建築「京都駅ビル」を改めて観照したのち、三時十分頃、京都駅を出発。岡山駅で乗り換えて松山駅へ到着したのは夜七時二十五分頃。駅のカレー店で夕食を摂り、伊予鉄道の電車で道後へ帰った。