極論の条件

京都大学総合博物館の中坊徹次教授が東京海洋大学さかなクン客員准教授等とともに、約七十年前に絶滅したと考えられていたクニマスの生存を発見したという朗報は二〇一〇年十二月の出来事だったが、これに対して今月十四日、秋田県立大学の杉山秀樹客員教授が否定の論を述べたとか。
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20120714o」。
高度に特殊な専門知で語られるべき問題ではある。しかし一般論で云って、このような論争を難しくする要因としては、対象の細部に関する極めて微妙な判別に左右されることの難しさと同時に、実は人間関係の難しさもあり得る。
この論争を興味本位で一瞥して興味深く感じられるのは、クニマス肯定論の側が、クニマスとヒメマスの判別が決して容易ではないことを前提した上で総合的な考察を求めているのに対し、クニマス否定論の側が、全か無かの極論を求めて中間の判断も総合的な考察も拒否しているとしか見えない点だろう。
全か無かの判定が成り立つのは定義の根幹をなして判定を支配し得る「本質」が明確に存在する場合に限られるが、この論争では、そのような「本質」は提起され得てはいないように見受ける。それなのに全か無かの判別を求めて勝ち誇れるとは不可解だ。