オルトロスの犬第二話

TBS系。金曜ドラマオルトロスの犬」。第二話。
脚本:青木万央。音楽:井筒昭雄。主題歌:滝沢秀明「ヒカリひとつ」。演出:加藤新
竜崎臣司(滝沢秀明)は「神の手」(「ゴッドハンド」)を持つ悪魔のような人物として物語に登場したが、この場合の「悪魔」という形容は、例えるなら二〇〇五年夏のドラマ「女王の教室」における阿久津真矢が「悪魔のような鬼教師」と形容されるのと少し似た意味における形容ではないかと思われる。なぜなら悪魔のような竜崎の言動を貫く論理は、その外見に反して、一般的な常識の正義に必ずしも反しないと見受けるからだ。
その一番の露頭は、竜崎が街の大病院の廊下において、そこへ運び込まれてきた交通事故の被害者と加害者の様子を眺めながら、「悪魔の手」を持つ「碧井先生」こと碧井涼介(錦戸亮)に対し、泥酔の加害者を「悪魔の手」の力で処刑するよう命じた際の言説に他ならない。何の反省もない利己的な飲酒運転者が何の落ち度もない子どもたちを暴力的な自動車運転という凶器によって殺害した残忍、不条理の事件は現実にあった。あの事件に対し、竜崎の言と一致した感情を抱いていた者は少なくないに違いない。碧井先生は竜崎を「生命を弄んでいるとしか思えない!」と非難したが、それに対する竜崎の言も単なる開き直りとは片付けられない程、意外に重かった。現実に社会には格差があり、病院でも、富裕者の生命は全力を挙げて尊重されるが、貧困者の生命は顧みられもしない。たとえ建前として生命の平等な尊重を謳い上げようとも、人間=社会は人の生命に優劣を付けている。そうであるなら社会が人に押し付ける生命の優劣の秩序に反する形で、俺が他人の生命に優劣を付けて何が悪い?というのが竜崎の言い分なのだ。
以上のような点から、このドラマには実に意外に見所があり、思いのほか面白くなりそうであると判断した。同時に、竜崎と碧井との間の遣り取りを一種の漫才として見るという楽しみ方も見出された。碧井先生が入院中の教え子を見守っていたところへ竜崎が現れて「神の手」をかざし、まさか病を治すのか?と期待させておきながら寸前に止めてしまったときの、碧井先生の「何しに来たんだよ」という言は所謂ツッコミの如くだったし、件の「生命の優劣」問題をめぐる二人の遣り取りにしても、内容の深刻性にもかかわらず漫才風でもあった。
悪人顔の碧井が何だか間抜けな善人にしか見えなくなってきたのも注目に値しよう。飲酒運転者を「悪魔の手」で殺害してしまった直後の、取り返しのつかないことをして己自身に失望したような表情が、いかにも間抜けな善人の馬鹿さ加減をよく表現していた。
長谷部渚(水川あさみ)の恋人である吉住正人(忍成修吾)は「もし神の手を自分が持っていたらどうしたいか?」という長谷部からの質問に「富や権力を手に入れる」と答えた。誰もが同じように考えるはずの、極めて普通の当然の答えだと思われるが、それが妙に邪悪に、悪魔的にさえ聞こえてしまうことがあるとすれば、それは、長谷部がこの答えに失望したのに引き摺られてしまうからではなく、(今や云うまでもないが)吉住正人役を演じているのが忍成修吾であるからに他ならない。