旅行記三東京国立博物館皇室の名宝展

四連休の三日目。旅行記三。
朝九時半の少し前にホテルを出て、東京国立博物館へ着いたのは九時四十分頃だったか。現在開催中の天皇陛下御即位二十年記念特別展「皇室の名宝」を見ることが今回の旅行の目的だったが、それを昨日ではなく今日に回したのは今日が平日だからに他ならない。実際、今朝も朝から多くの人々が来てはいたが、流石に平日ということもあってか、待ち時間もなく直ぐに平成館の会場へ入ることができた。
ところが、中へ入ってみれば予想外の大混雑。最初の展示物である海北友松の浜松図屏風には近づくこともできない有様。同室の奥にある狩野永徳の唐獅子図屏風はその並大抵ではない大きさのおかげで、近づかなくとも望遠鏡(単眼鏡)があれば或る程度は見ることができるし、時々は近づくこともできる瞬間もなくはなかったが、次の展示室に勢揃いした伊藤若冲の旭日鳳凰図と動植綵絵の計三十一幅の前は凄まじい人混みだった。
円山応挙や原在中、葛飾北斎の傑作群も素晴らしかったが、圧巻と云うべきは岩佐又兵衛小栗判官絵巻。並んででも見るべし。
近代の宮廷美術の中では、荒木寛畝や野口小蘋、滝和亭、川端玉章等の圧倒的な力量を再認識させられた。彼等の格調高くもエネルギッシュな表現に比するなら、橋本雅邦の絵はモダンに整理され過ぎて物足りない。杉谷雪樵の大納言公任捧梅花図屏風は、銀箔の地に雪景色を謹厳にも優美に描いている。
住吉広賢門人の高取稚成が描いた赤坂離宮御苑図屏風は、住吉派の正統な継承者である彼ならではの伝統的な大和絵だが、写実的な空間表現と洗練された造形感覚において極めてモダンでもある。大和絵の近代化はどうあるべきだったかを見事に示し得ていると評したい。
かつて明治宮殿を飾っていた工芸品の数々は何れも豪華で素晴らしいが、ことに心惹かれたのは七宝会社製作の七宝藍地花鳥図花瓶の、深くて鮮やかな色彩。
小室翠雲の「寒林幽居」や川合玉堂の「雨後」は何れも作者の代表作と云えるが、面白いのは、幕末には勤皇の志士として国事に奔走したと伝えられる富岡鉄斎の「武陵桃源・瀛洲神境」が、確かに名品であるとはいえ、必ずしも彼の作として最高水準のものではないと思われること。書画を贈る相手が皇室であるか友人であるか未知の富豪か庶民であるかの別によって制作態度を分け隔てたわけではないと知る。
大正・昭和の作品群の中では、崋椿系(渡辺崋山・椿椿山)を継承する松林桂月の高密度の花鳥画「潭上餘春」と、江戸の精神を継ぐ鏑木清方が千代田城と近代の帝都の風景に富裕の女学生と貧しい母子を配した「讃春」を特に気に入った。
特別展の会場を出て平成館の二階から一階へ降りれば、企画展示室で「大和絵屏風の伝統」と題して、平成二年の天皇陛下御即位に際して挙行された大嘗祭のために制作された東山魁夷の悠紀風俗歌屏風と、高山辰雄の主基風俗歌屏風、合わせて六曲二双が公開されていた。できることなら大正度の野口小蘋・竹内栖鳳・今尾景年や、昭和度の川合玉堂山元春挙の作になる悠紀・主基屏風等も見たかった。
平成館の一階の休憩所には今回も和菓子の名店「鶴屋吉信」が店を開いていたので、「つばらつばら」と「京観世」各一個を購入して暫し休憩。このとき既に午後一時二十三分。観照に三時間半以上も要したのか。
平成館から本館へ渡り廊下で移動。
近代美術展示室には、安田靫彦の歴史画の大幅「御産の祷」をはじめ、河鍋暁斎「小児遊図(鬼ごっこ)」、島崎柳塢「おないどし」、曾山幸彦「試鵠」、そして重要文化財岸田劉生「麗子微笑」等。
この近代美術展示室から寄贈者顕彰室を経て玄関ホールへ出れば、そこには近年テレヴィドラマ撮影に使用されることの多い帝王階段とステインドグラスの作る壮麗な空間がある。秘密結社ミュージアム幹部の園咲霧彦(君沢ユウキ)や園咲琉兵衛(寺田農)が現れたとしても不自然ではない。
帝王階段を上がって二階の日本ギャラリーへ。
宮廷美術展示室には「鳥獣人物戯画巻断簡」や「狭衣物語絵巻断簡」(重要文化財)等。禅と水墨画の展示室には、誰もが知る重要文化財「一休和尚像」のほか、伝曽我蛇足「臨済図」(重要文化財)や伝狩野元信の旧大仙院方丈障壁画「太公望・文王図」(重要文化財)等。屏風と襖絵の展示室では伝岩佐又兵衛「故事人物図屏風」の迫力に圧倒されるが、円山応挙「秋冬山水図屏風」の洗練と気品にも見入る。様々な画題を様々な画風で描き分けた「扇面散屏風」が宗達派の作とされているのは、扇が俵屋の商品だったことに加えて宗達派の扇面を含んでいるからだろうか。
近世書画展開展示室には、渡辺崋山の傑作「佐藤一斎五十歳像」(重要文化財)、与謝蕪村「山野行楽図屏風」(重要文化財)、白隠「箒図」等。狩野探信守政「百猿図」は、飄々とした筆致で猿の群を描いていて、細かく見てゆくと楽しい。林十江「鰻図」は即興的な筆致に面白さがあり、冷泉為恭「木工権守孝道図(博雅三位図)」は典雅。しかし最も楽しめるのは岩佐又兵衛の「本性房怪力図」だろう。太平記の痛快な場面を痛快に描いている。
この展示室に出ている江戸時代の「狭衣物語絵巻」は、宮廷美術展示室に出ていた鎌倉時代の「狭衣物語絵巻断簡」二点と関連付けて見れば実に面白い。浮世絵展示室では窪俊満の「群蝶画譜」や植物画に見入った。
本館二階の企画展示室における「中国書画精華」では、李迪の「紅白芙蓉図」(国宝)、伝胡直夫「夏景山水図」(国宝)等に魅了されるが、何と云っても迫力があるのは伝顔輝「寒山拾得図」(重要文化財)。寒山や拾得の顔と岸田劉生「麗子微笑」の麗子の顔とを関連付けて見れば一段と面白い。
二階から一階へ、さらに地階へ降りて売店で買物をしたあと、一階の部門別展示室群を一周。
歴史展示室で来月まで開催中の特集陳列「皇室と東京帝室博物館」は、東京国立博物館の歴史に関する企画展「歴史を伝える」の第一弾。「明治四年大嘗宮御構地割総図」のような極めて興味深い図面に加えて、菊池芳文・谷口香きょう(山喬)・竹内栖鳳・松本楓湖・小堀鞆音等による御所の襖下絵や、荒木寛畝と渡辺省亭による赤坂離宮下絵、狩野探美による明治宮殿杉戸絵が出ていた。川崎千虎の画と山高信離の詩による「博物艦難船之図」も興味深いが、野間清六「くちなわ物語(正倉院御物展観絵巻)」は往時の上野恩賜公園の賑わいをよく伝える。
ここまで見たところで時刻は既に夕方五時の約十分前だった。本日の閉館時間は五時。大急ぎ本館を出て、表慶館でインド・ガンダーラ西アジア・エジプトの彫刻を五分間だけ観照したのち、館をあとにした。正門を出る前に振り返り見た本館の夜景は「仮面ライダーW(ダブル)」における園咲家の邸宅の姿そのもの。上野駅の近くの食堂で夕食を摂って御徒町駅に近いパン店で明日の朝食用のパンを購入してからホテルへ戻った。