斉藤さん第三話

日本テレビ系。水曜ドラマ「斉藤さん」
原作:小田ゆうあ『斉藤さん』(集英社)。脚本:土田英生。音楽:池頼広。主題歌:観月ありさ「ENGAGED」。制作協力:AX-ON。プロデューサー:西憲彦&渡邉浩仁/佐藤毅(東宝)。企画:東宝。第三話。演出:岩本仁志
街の主婦連を魅了する若くて爽やかなスポーツクラブのインストラクター、泉温之(弓削智久)が、実は所謂オネエMANだったとは。前回までにそんなことを窺わせる描写はあったろうか?全く記憶にない。意表を突く設定だった。とはいえ折角の弓削智久出演であるのに爽やかなだけの男子で終わっては勿体ないという気もしてはいたのだ。彼の今後の展開にも期待しておこう。
さて、今回は阿久津高校に通う女子たちが、何時も口うるさいオバサンである「斉藤さん」こと斉藤全子(観月ありさ)のため一肌脱いだことで、一気に事態が好転しつつあるところで終わった。
大人に対して必ずしも素直な「よいこ」ではないかもしれない桜井綾子(石橋杏奈)や新見けい(高橋みなみAKB48])をはじめとする女子生徒衆が、柳川正義(山田親太朗)等の悪行を前にして「見て見ぬフリ」を通そうとする大人たちへの反発から、逆に「斉藤さん」親衛隊と化したのは面白い。しかし必ずしも荒唐無稽の無茶な展開ではないと思う。真に無茶なのは柳川正義の側なのだ。桜井たちが真野若葉(ミムラ)との会話の中で、柳川について「病的なところがある」と評していたのは見落とせない。柳川のやっていることは誰がどう見ても既に犯罪だ。反抗期の少年の暴走という範囲を超えている。桜井たち女子生徒衆は「阿久津高校の生徒があんな奴等ばかりだと思われても困る」と云ったが、この言い分は誠に尤もなものだ。
三上りつ子(高島礼子)率いる有閑主婦連と「斉藤さん」との対立に関し、真野透(佐々木蔵之介)は「どちらの言い分も正しい」と評した。確かにその通りだろう。「斉藤さん」が正義を振りかざして行動したことが結局は柳川正義の態度をさらに悪化させ、悪事を暴走させたという現実がある。しかし巷間「歴史に“if”はない」と云われるが、このドラマにおいても、「斉藤さん」が「見て見ぬフリ」をすることで何も事件が生じなかったという現実はないのだから、そもそも「斉藤さん」の行動が事態を悪化させた原因であるのかどうかを判定することはできないはずなのだ。「斉藤さん」が何もしなければ何も事件が生じなかったと云えるだろうか。多分そうは云えないのではないか。なぜなら「斉藤さん」の存在にかかわりなく連中は悪事を働くのだからだ。そのことは三上りつ子自身の最も知るところではないのか。むしろ幼稚園という教育機関において、子どもたちの模範であるべき大人たちが悪事を前に集団で「見て見ぬフリ」をすることで、子どもたちに虚無主義相対主義を根深く植え付けてしまうことの根源的な恐ろしさをこそ認識すべきだ。強い者は何をやっても許され、弱い者は痛みに耐えて頑張ることを求められるような、余りにも反伝統的な社会に、人々はどこまで耐え切れるのだろうか。
もちろん「斉藤さん」の何の捻りもない行動が、それだけではとても事態を打開できそうになかったのは確かだ。その点で「斉藤さん」には反省の必要もある。しかし何の捻りもない真直ぐな正義感の表出であればこそ桜井綾子をはじめとする女子生徒衆の心を動し得たのも確かなのだ。桜井たちが「斉藤さん」への親近感を語りつつ、同時に、三上りつ子等「見て見ぬフリ」をしていた大人たちへの不信感を表明していたことがそれを雄弁に物語る。