玉木宏主演ラブシャッフル第二話

TBS系。金曜ドラマラブシャッフル」。第二話。
脚本:野島伸司。主題歌:アース・ウィンド・アンド・ファイアー「Fantasy」。挿入歌:バングルス「ETERNAL FRAME」。音楽:神坂享輔&MAYUKO&井筒昭雄。プロデューサー:伊藤一尋。制作:TBSテレビ。演出:土井裕泰
宇佐美啓(玉木宏)と大石諭吉(DAIGO)は、それぞれが面白いのと同時に、組み合わせとしても面白い。諭吉が宇佐美に親しみを感じているようだが、なるほど、両名には三つの共通点がある。(一)二人とも交際相手から捨てられようとしていて、でも捨てられたくなくて必死になっていて、そして(二)捨てられても仕方ないかと思えてしまう程に、日常生活において何事に関しても頼りにならないように見えるが、それでいて(三)実はその裏面には正反対の本性を秘めてもいるからだ。
宇佐美啓は、仕事にせよ私生活にせよ「日常」の営みという局面では何事も丸で駄目な男のように見えるが、一度「日常」を離れて「遊び」の世界に入るや、俄然スター(星)のように「キラキラ」と輝き始める。観衆が多ければ多い程に強くなり、決して負けることがなくなる点においても、「スター」と呼ばれるに相応しい。学生時代に一通りの「遊び」を経験していて、何れの道においてもプロフェッショナルの競技者として生きてゆける程の力量を持っていたが、どうしてもそれを仕事にする気にはなれなかったらしいのだ。先週の第一話ではスキー選手としての力量の一端を垣間見せたが、今週はビリヤード選手としての力量を圧倒的に誇示した。
彼を捨てようとしている婚約相手の香川芽衣貫地谷しほり)は、出会ったときから現在に至るまで彼を無敵の「スター」として見ていて、その「キラキラ」とした輝かしさに憧れていると語った。なるほど彼のスターとしての輝きは日常によって曇らされていたのだ(陽明学者であれば、そのような日常を「塵」と形容するだろう)。
上条玲子(小島聖)の奔放な性欲をめぐって彼の展開した人物評と恋愛論は、少なくとも考え方の基本に関する限り、「日常」のときの彼と「遊び」のときの彼との間で何か変化したわけではない。でも、言葉の選択も表現も、別人のように変貌したように思えたし、何よりも彼自身の見え方の違いが言葉の説得力を変貌させてしまった。姿と心を曇らしていた「日常」という塵が一掃されて本来の「キラキラ」した彼が現れた。
宇佐美の本質が光り輝く「陽」であるとすれば、諭吉の本質は「陰」であるのかもしれない。何時も数千万円もの大金(のように見せかけた荷物)を持ち歩いている大富豪の彼は、宇佐美との会話の中で、他人との交渉という局面において莫大な現金が発揮する威力の大きさ、換言すれば、現金の山を前にしたとき人々の倫理、正義がどれだけ脆弱であるかを論じた。しかもそのことの例証として、金で雇われただけで何の縁もない人を殺害する人の存在を挙げたのだ。優しく柔らかで愛嬌ある人柄のように見える彼には、意外にも冷徹な人間観がある。早川海里(吉高由里子)との会話の中で彼が述べた「自分が苛められている間は他の子が苛められないで済んで、救われていたはずだ」という少年時代の悟りにしても、彼の心の広さ、優しさを表してもいるだろうが、同時にそれは、彼を犠牲にすることで保身を図った連中の心の醜さに対する容赦ない観察を前提してもいるだろう。云わば彼は、全く「イノセント」ではないにもかかわらず、悟りとして、敢えて「イノセント」であることを選んでいるだけなのだ。