ヤマトナデシコ七変化第七話

TBS系。金曜ドラマヤマトナデシコ七変化」。第七話。
原作:はやかわともこ。脚本:篠崎絵里子。演出:川嶋龍太郎。
喫茶店「迷宮入り」の店主(大杉漣)が高野恭平(亀梨和也)相手に語った「人生は迷子のようなもの」の比喩が、中学生時代の中原スナコ(大政絢)の同級生すず(近野成美)の苦しみを表現したのみか、この女にそれを聞かせた高野恭平自身の苦しみをも表現して、物語を少し引き締めた。
それにしても中原スナコをこれまで苦しめ続けてきた中学生時代のイジメの件は、やや事情が錯綜していて、視聴者を迷子にしてしてしまう。少々整理が必要だろう。
(1)スナコが鴉のような黒マントに身を包んで、「魔女」のように、「ホラー」のように生きるのは、中学生時代、片想いの相手に罵られて絶望したからであると今までは語られてきた。(2)そのとき同級生全員から苛められてもいたことも明かされた。ところで、(3)スナコに対する当時のイジメは、その「魔女」のような不気味な気配に対する攻撃という形を取っていた。要するに、苛められたから「魔女」のように「ホラー」のようになったのではないと解される。高野恭平が云ったように、そして先週までの六話を通して明らかにされてきたように、スナコは「根っからのホラー」なのだ。従って(4)失恋とイジメのあとスナコが黒マントの女と化したのはむしろ本来の個性が増幅され強化された結果であると見なければならないようだ。
もう一つ誤解を招き易い点があった。(5)今宵の劇中、その途中までは、当時のイジメの首謀者が、実は、当時の中原スナコ唯一の味方だったはずのすずではなかったのか?と視聴者に思い込ませるかのような描写があったことだ。だが、真相はその逆。(6)すずもまた、苛められていた中原スナコを庇おうとした廉で、陰で同じく苛めに遭っていた。その上、事実に反してあたかもスナコ苛めの煽動者であるかのように仕立て上げられてしまってもいたらしいのだ。だが、さらに視聴者を混乱させることに、(7)中原スナコは、すずが苛められていたことを知らなかったのみか、すずが中原スナコ苛めの煽動者に仕立てられてことも知らなかったのだ。
ところで、中原家の城の住人たちの中での、遠山雪之丞(手越祐也)と織田武長(内博貴)と森井蘭丸(宮尾俊太郎)の役割分担は既に明確化し定着していきているが、それを仮に言語化するなら、エロティクなドン・ジョヴァンニの森井蘭丸、冷静で温かな兄貴分の織田武長に比して遠山雪之丞は何と形容されるのだろうか。娘か、妹か、小姑か。