NHK咲くやこの花第七話

NHK土曜時代劇咲くやこの花」。第七話「みをつくしても」。
このドラマに第一話から登場していた三人の子どもたち、蝉丸(小川竜平)と猿丸(梅本ハルヤ)と小町(原舞歌)が、まさか「むすめふさほせ」の謎を解く鍵になろうとは予想外のことだった。
彼等三人が、正月に川辺で凧揚げをして遊んでいたこと、そして凧作りの内職で生計を立てる貧しく偏屈な若い浪人の深堂由良(平岡祐太)に親しみを抱いていること、他方、由良の側も決して子ども嫌いではないこと、凧にその持ち主の個性を、絵や文字で表すのを得意とすること等、第一話以来これまでの劇中にさり気なく描写されてきた小さな挿話の全てが、今宵のこの第七話のあの謎解きの場において重要な意味を担ったのだ。この見事な伏線には感服のほかない。
ことに感服せざるを得ないのは、蝉丸と猿丸と小町という名が謎を解くための直接の契機に繋がったことだ。彼等三人の名から、深堂由良は小倉百人一首における蝉丸と猿丸大夫小野小町を連想し、彼等三人のために拵えた凧に、百人一首におけるそれぞれの歌を書き込んだ。蝉丸の凧には「これやこの行も帰るも別れてはしるもしらぬも相坂の関」。猿丸の凧には「おくやまに紅葉踏分なく鹿の声きくときぞあきは悲しき」。小町の凧には「花のいろはうつりにけりないたづらに我身よにふるながめせしまに」。第一話においても由良は、蝉丸の凧に蝉の絵を描いて渡したことがある。凧にその持ち主を表す絵や文字を描くのは由良の得意技であり、由良を愛する江戸の深川の漬物屋「ただみ屋」の娘こい(成海璃子)はそのことを「おはこ」と云った。ところが、由良は「おはこ」という三文字を、凧に書いた三首の歌の頭文字のことかと受け取った。「奥山に」と「花の色は」と「これやこの」で「おはこ」。このことから、こいは「むすめふさほせ」が七首の歌の頭文字であるかもしれないことに思い至り、ついには「決まり字」を発見するに至ったのだ。
深堂由良と三人の子どもたちとの間の温かな交流が、今、こうした形で物語に意外な役割を果たしたのだ。
なお、このドラマの語り手をつとめる百人一首の撰者「京極黄門」藤原定家卿(中村梅雀)によれば、「むすめふさほせ」等の「決まり字」が発見されたのは明治期のことだそうだが、どうやら、こいが師と仰いでいる町の女流の国学者、「嵐雪堂」主人の佐生はな(松坂慶子)は密かにそれを発見していたらしい。これはあり得ないことではない。なぜなら江戸時代の学問は主に読書と旅行による研鑽と、門弟への知の伝授と、天下への尽力の道であり、研究成果の公表こそを科学者の責務と定める近代の制度の中にはなかったのだからだ。昔の学者の知の多くは後世には伝わっていない。
他方、嵐雪堂はな先生は、遠い昔に恋心を抱いた愛しの人、畠田雅道(倉貫匡弘)の医院を訪ねた。
雅道は既に亡くなっていた。妻よし(木村理恵)は、亡き夫が、江戸の嵐雪堂で一緒に学問に明け暮れた佐生はな女を同志として最も愛していたこと、そして左京大夫道雅の歌「今はたゞおもひ絶なんとばかりを人づてならでいふよしもがな」を自身の思いとして語っていたことを証言した。はな先生は雅道の今の様子を「人づてならで」知りたいと思って会いにゆくことを決意し旅してきたのだが、生前の雅道もまた、別々の道をゆくことを選んだ恋人への、断ち切り難くとも断ち切らなければならない焦がれる思いを何とか一言だけでも「人づてならでいふよしもがな」と苦悩していたのだ。
佐生はな女と畠田雅道は、結婚によって結ばれることこそなかったものの、学問への「志」において心を一つに繋げていた。それはそのまま、仇討という志のある深堂由良と、大江戸小倉百人一首歌かるた腕競での優勝という志のあるこいとの間の、もはや断ち切ることのできそうもない繋がりの姿に重なり合うだろう。
なお、先週の第六話についての吾が文中、畠田雅道の名が左京大夫藤原道雅の名に因んだものだろうことを乏しい根拠から推理して述べたが、今回こうして「人づてならでいふよしもがな」の歌が出てきたことで、この推理の妥当性は証明された。妻よしの名も同じ歌に因んでいるだろうことは云うまでもないだろう。
日本橋の豪商、「百敷屋」呉服店の若旦那、順軒(内田滋)の今週の替え歌は「蜜柑の山抱へて現はる良き蜜柑いつむきとてか美しかるらむ」(ただし劇中「良き蜜柑」は「良い蜜柑」、「うましかるらむ」は「おいしかるらん」)。無論これは中納言兼輔の歌「みかのはらわきてながるゝ泉河いつ見きとてかこひしかるらむ」のパロディ。
こいに夢中の順軒は、こいに会いたくて何度も深川の「ただみ屋」へ足を運んでいるが、いつ来てもこいは変な浪人の許へ行って留守にしていて、会うことができない。会うことができないのに、否、それだからこそか、ますます恋しい思いが募る。まさしく「いつ見きとてか恋しかるらむ」。
もはや何者をも恐れることなく、愛する由良様のために尽くしたいと決意するに至った健気な娘こいの思いを云い表すかのような第七話の題「みをつくしても」は、元良親王の禁断の恋の歌「わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ」に因んでいる。
ともかくも、このドラマの語り手をつとめる小倉百人一首の撰者、京極黄門こと藤原定家卿が繰り返し云うように、次回以降の「行方も知らぬ」展開を「焼くや藻塩の身も焦がれつつ」楽しみに待つのみ(「こぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつゝ」)。次回は三月十三日の放送。